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2015年10月26日月曜日

『マシューのゆめ』(レオ・レオーニ作) その2



前回は書きませんでしたが、マシューが美術館の中を歩いていた時に出会ったニコレッタの存在です。
彼女が、抽象的な絵がたくさん飾ってある部屋で、「ここに ある え、みんな すきじゃない?」と、マシューに言ったのです。(マシューは、この路線でその後絵を描き続けます。)

その晩、マシューが見た夢は、ニコレッタといっしょに、楽しそうにいろんな色が重なり合い、音楽にのってゆっくりと動いていくところでした。
そして、「こんな しあわせは はじめてだった」ので、マシューはニコレッタを抱きしめ、こう言ったのです。「いつまでも ここに いよう」と。

そしてその後、彼は夢で見たことをすべて実現させたのです。

ニコレッタの「ここに ある え、みんな すきじゃない?」が出発点でした。
(それとも、この発言はマシューのだったのでしょうか? あるいは、『てん』の中でワシテの先生がチッポケナ点にサインさせ、額縁に飾った代わりに、マシューが通っていた学校のクラスのみんなと美術館に連れて行かれたのが、すべての出発点だったかもしれません。)

もう一点は、(この上のことと関連することかもしれませんが、)同じものでも見方が変りえる、ということ。
「きたない ごみの やまの あせた いろは、かがやいた。
くしゃくしゃに なった しんぶんさえ、やわらかく なめらかに みえた」
そして
「とおくから、みみなれた おんがくが きこえる ような きが した」

この最後のところなんて、『ギヴァー』のラストシーンを思わせませんか?

すでに、夢(記憶?)の中で見ていたから、これらを想像できたのでしょうか?
夢を見ていなかったら/記憶がなかったら、できないことを意味するのでしょうか?

2015年10月23日金曜日

『ギヴァー』と関連のある本 111



『マシューのゆめ ~ えかきになったねずみのはなし』レオ・レオーニ作

最初に読んだ時、この本、私の好きな『てん』(ピーター・レイノルズ作)に似ている! と思いました。(出版年からすれば、『てん』が『マシューのゆめ』に似ているのですが。)
美術館に連れて行ってもらったことがきっかけになって、描くことに専念し、たくさんのいい絵を描いて有名になる、というお話です。

でも、何回か読むことで、違うことが見えてきました。
タイトルにもある「ゆめ」という要素が気になったのです。
これは、「ゆめ」が正夢になったお話と思ったときに、もう一冊私が好きな『ギヴァー』を思い出しました。

『ギヴァー』のコミュニティに、夢を見ている人はいるのでしょうか?
記憶なしで、夢は見られるのでしょうか?

『マシューのゆめ』では、ゆめが想像力の源になっていました。
ゆめ=想像力なしには、何事も始まらないとさえ思えます。

そうなると、ギヴァーのコミュニティでは何も始まらない?
(日本は、大丈夫なのかな? と心配にもなります。)

ジョナスとギヴァーだけが記憶をもっているので、夢を見られる。ということは、想像して何かをつくり出せる。
その結果、ジョナスはコミュニティを、ゲイブリエルを連れて脱出するというアクションを起こしました。それは、単にゲイブリエルを助けるためだけでなく、コミュニティのメンバーすべてが記憶を持てるようにするために。
それは、みんなが夢を見、そして想像して何かをつくり出せるようにすることでもありました。

レオ・レオーニの作品は、こういうテーマを扱っているものが多い気がします。

2015年10月19日月曜日

『ギヴァー』と関連のある本 110



『一わだけはんたいにあるいたら......』グンナル・ベーレフェルトさく

島には、あるきどりが すんでいた。

ふしぎなことに いつも 列をつくって あるいていた。
おなじほうを むいて、 きちんと ならんで あるいていた。

ある日のこと、一わが はんたいの ほうこうへ あるきだした!

「あいつ、あたまが へんになったんだ。」
みんな、わいわい がやがや おかしなとりを ののしった。
おかしなとりを ふみつけた。
「ばかな やつめ! みんなと おなじように あるくんだ!」
「きちんと ただしく あるきなさい!」
おかしなとりを けとばし、 つっつき、 おどしつけた。
「まっすぐ あるけ!」「あしなみ そろえろ!」「列を くずすな!」
みんな、 口ぐちに どなりつけた。

そのとき とつぜん、 もう一わの あるきどりが、
おおきく はばたき まいあがった。

これは また なんてこと!
あるきどりたちは、 われもわれもと はばたきだした。

「いったいぜんたい どうしたの?」
「おれたち、 ちがうほうへも いけるんだ!」
「とぶことだって できるんだ!」
「およぐことだって できるのよ!」
「ぼくたち、 つばさが あったんだ!」

「さあ とぼう! おい風だって むかい風だって へいきだぞ!」

ひろいひろい、この大空、 力いっぱい とんでみよう!


以上、全部ではありませんが、ほとんど全部、書き出しました。
ジョナスの行動が、コミュニティにもたらしたことを思い浮かばせてくれます。

と同時に、私たちが日々していることも。(それは、前半の部分ですが。)

でも、反対に歩き出す最初の一羽よりも、飛び立った二番目の方が大事な存在なのでしょうか? それとも、最初の一羽がいたからこそ、二番目の行動が可能になったのでしょうか? ジョナスは、どっち?

2015年10月18日日曜日

『ギヴァー 記憶を注ぐ者』を読みました。しかも一ヶ月に2度も。



というTさんが感想を送ってくれました。

初めは9月中旬に渋谷で『ギヴァー 記憶を注ぐ者』の映画を観たのがきっかけでした。迫力ある展開をもう一度味わいたかったのと、なんでこのコミュニティが存在するのか、その背景をもっと知りたくて本を手に取りました。

その後は『ギヴァー 記憶を注ぐ者』の本『ギャザリングブルー』『メッセンジャー』再び『ギヴァー 記憶を注ぐ者』の本と、展開に乗っかって(飲み込まれて?)たった一ヶ月で、『ギヴァー』を二度も読んでしまいました。


何がそんなに自分の心にヒットしたのか。

自分の心の中に描いたギヴァーの世界と、今の仕事、今の教育、今の世の中の問題点とぴったりと(恐ろしいくらい)重なったからかもしれません。

衝撃だったのは・・・

「すべてが同じなのならば、選択のしようがないですよ!ぼくは朝起きて、どうするか決めたいんです!」
ジョナスのふりしぼられた叫び。これって教室の中にいる子ども達の声なのかもしれません。

同一化、予測可能なギヴァーの世界に起こっていることは正解をあてっこする授業そのもののように感じます。
与えられたものを与えられた通りにこなすだけ。
ジョナスのように声が上がらないよう、つつがなく授業をずっと行っていたとしたら、子どもは同一化に向かうだけ。会社も学校も同様で、誰かが決めた事を押しつけられて、それをこなすことに必死になっていたら...やっておくことが無難、ことなかれ的、意味や価値を感じない。自己有能感やモチベーションが高まる瞬間ってどうやってつくっていったらいいのでしょう?


ジョナスの父が双子の一方を解放した後はとても辛かったです。ジョナスの高ぶる感情のあとのギヴァーの言葉もぐさりときました。「かれらは何も知らないのだから」「与えられた人生なのだから」

疑いもせずに平気で過ごせてしまうことほど恐ろしいことはない。そう感じました。


その後、ジョナスがコミュニティを飛び出したあと展開ですが、ここのページ数ってそんなにありません。
でも、読んでも読んでも先に進まない不思議な感覚を味わいました。

色鮮やかな一つ一つの風景の美しさ。
花のにおい、水の冷たさ。凍えながら記憶をもとに体を温める感覚、やっと手にしたジャガイモ。泣きやまないゲイブの声。

自分自身もジョナスといつの間にか一体化して、同一化の世界を飛び出し、じっくり新鮮さを味わう内的な時間をじっくり楽しんでいたのかもしれません。


改めてふり返ってみると、この本を通して
・問うこと(当たり前を疑うこと)
・選択すること
・勇気を持って行動すること
・愛を分かち合うこと
ってどういうことなのか?を問われたように感じます。
これらの問いは以前もどこかで考えたと思いますが、この物語を通して強く鮮明に頭の中に残ったように感じます★★


『ギャザリングブルー』『メッセンジャー』を読み終えて。なんでマティは自分自身をトレードしなくてはいけなかったのか。もやもやしています。今後の展開がとても気になります。

★★最初の1点目は最近読んでいる『たった一つを変えるだけ ~ クラスも教師も自立する「質問づくり」』にもつながりますし、あとの3点はポジティブに生きていく上で欠かせない要素かもしれません。

2015年10月17日土曜日

『ギヴァー』と関連のある本 109



『戦争で死んだ兵士のこと』小泉吉宏さく

表紙に、飼い犬の姿が。
待っていた飼い主は戻ってこない、という意味??

『ギヴァー』の中で、ギヴァーがジョナスに戦争の記憶を注入する場面が出てきます。

あのシーンで死んだ兵士の記憶を辿ると、この絵本になるのでは、と思いました。

誰にも歴史というか、記憶があるということがわかり、かつ「召集」という一つの巡り合わせで、ハッピーな生活から生死の境をさまよう生活に入っていくことがわかる絵本。

結局、表紙の犬とはどういう関係かは、絵本を読み終わってもわかりませんでした。
でも、待っている人は永遠に帰って来ないことを象徴しているのかも。渋谷のハチ公のように

2015年10月13日火曜日

『ギヴァー』と関連のある本 108

絵本『だって・・・』石津ちひろ・作、下谷二助・絵です。

内容が言わんとしていることは・・・・

二助: 子どもって、勝手気ままに反発するでしょ。ワクをはめようとする大人とぶつかるのは当然なんだろうね。そういうところに生まれてくる「だって」というセリフがね、たくさんきこえてくる生活というのはさ、ある意味でとってもすばらしいことなんじゃないでしょうかね。だから「だって」がなくなってしまうっているのは・・・・。

ちひろ: いっけんスムーズみたいだけど、じつは・・・・。

二助: じつは「だって」の大切さをね、見失っちゃってるというね。

ちひろ: 「こういう人なのね」ってあきらめちゃうと、おたがいに「だって」っていわなくなるんじゃない?


以上は、作者二人の対談の形で、本の内容を解説してくれているものの引用でした。

最後の「人」は「組織」や「社会」に置き換えられてしまいます。
ギヴァーのコミュニティでは、すでに「だって」が完全に証明した社会です。
日本は大丈夫でしょうか?

ラグビー日本代表ヘッド・コーチのエディー・ジョーンズさんは、「日本では高校、大学、トップリーグでも高いレベルでパフォーマンスする指導ができていない。規律を守らせるため、従順にさせるためだけに練習をしている。それでは勝てない」と、「だって」思考で枠を出た発想と行動を起こさないと、失うものが多いことに警笛を鳴らしています。

ギヴァーのコミュニティで、唯一「だって」を言い、そして行動したのはジョナスでした。