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2015年10月23日金曜日

『ギヴァー』と関連のある本 111



『マシューのゆめ ~ えかきになったねずみのはなし』レオ・レオーニ作

最初に読んだ時、この本、私の好きな『てん』(ピーター・レイノルズ作)に似ている! と思いました。(出版年からすれば、『てん』が『マシューのゆめ』に似ているのですが。)
美術館に連れて行ってもらったことがきっかけになって、描くことに専念し、たくさんのいい絵を描いて有名になる、というお話です。

でも、何回か読むことで、違うことが見えてきました。
タイトルにもある「ゆめ」という要素が気になったのです。
これは、「ゆめ」が正夢になったお話と思ったときに、もう一冊私が好きな『ギヴァー』を思い出しました。

『ギヴァー』のコミュニティに、夢を見ている人はいるのでしょうか?
記憶なしで、夢は見られるのでしょうか?

『マシューのゆめ』では、ゆめが想像力の源になっていました。
ゆめ=想像力なしには、何事も始まらないとさえ思えます。

そうなると、ギヴァーのコミュニティでは何も始まらない?
(日本は、大丈夫なのかな? と心配にもなります。)

ジョナスとギヴァーだけが記憶をもっているので、夢を見られる。ということは、想像して何かをつくり出せる。
その結果、ジョナスはコミュニティを、ゲイブリエルを連れて脱出するというアクションを起こしました。それは、単にゲイブリエルを助けるためだけでなく、コミュニティのメンバーすべてが記憶を持てるようにするために。
それは、みんなが夢を見、そして想像して何かをつくり出せるようにすることでもありました。

レオ・レオーニの作品は、こういうテーマを扱っているものが多い気がします。

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